続・生きる意味

生きる意味が圧倒的にわからない理由のメモ

生きる意味ねぇ・・・、生きる意味、うん!?なんかこれ既視感あるぞ、と思って検索かけてみたら前にやっぱり同じこと書いてた(笑)。

生きる意味 - duck75のはてなダイアリー

でね、既視感があるはずもはずで、ここで僕は図らずも「生きる意味はないという、圧倒的な虚無感」とかいうフレーズを使ってるわけで。いやいやいやいや、この匿名ダイアリー書いたの、僕じゃないですよ。

で、ブックマークのコメントとか読んでみたけど、相変わらず感心するようなものはほとんどないなぁ。

まず、多くの人がこの問題に対してナメ過ぎていると思う。「中二病」とか言ってはいはい、みたいな感じでね。でも、何度も同じような問題が出てくることからもわかるように、この種の問題は、哲学とか思想とか、そういう、昔からの人類の悩み、みたいな普遍的なもので、当人にとってはすごく切実で、僕はこれをあしらうかのようなコメントを寄せている人は、それを乗り切ったんじゃなくて、都合よくやり過ごしたんじゃないかって思ってる。

ほんとうに切実にこういう問題と向き合って悩んだ人は、同じように悩んでいる人を見てそう簡単に切って捨てることはできないはずで・・・。

それで、過去の自分のエントリーを読み返してみて、やっぱり、いまでも答えは変わってないです。

この問題は、そうやすやすとスマートな回答を提出できる種類の問題じゃないです。「生きる」っていうことは、もっと泥臭いって言うか、なかなかうまいこと言えませんが、そういう、得も言われぬ「敗北感」みたいなものの中にひっそり息づいているような気がします。負けるが勝ちっていうか。

こう言ってしまうと、至極当たり前になってしまうんだけれども、答えは、全力で、真摯に、精一杯生きることに賭けてみることです。できれば、分散投資なんかせずに、一点買いで有り金全部賭けてしまったほうがいい。ただ、その際には、心の片隅に、賭に負けること(死とか無とか)を意識してないといけない。賭って、負けることが前提にあってはじめて成り立つもんだから、要はそういう危ういもんなんだろうと思う。

一敗地にまみれて、カッコ悪いものですよ。人生所詮負け戦。でも、俺は賭けるぜぇ〜!超賭けるぜぇ〜!天の邪鬼の、この根性が、うずうずするぜ!

賭ける魂 (講談社現代新書 1942)

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