ドラッカー95歳の詩を読んで

ピーター・ドラッカー95歳の詩 – Apelog

ドラッカー95歳の詩というのが注目を集めていて、どうやら別の人の詩らしいんですが、まぁ、そんなことはどうでもよくて、内容、ですよね。

なんていうか、詩っていうか、こういうのは、いくぶん、アフォリズム的なものを含んでいると思うから、真実を言い当てている分、文言をそのまま受け止めるのはちょっと違う気がする。たとえば、聖書とかがそうですけど(新約しかほとんど読んだことないけど)。説教でも、えっ?それ違うだろっていうのがいっぱいありますよ。

もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。

ブックマークコメントにも書いたんですが、ここ、唐突に「豆」が出てくるので戸惑っている人がいるけど、これは、生きていたときの後悔みたいなものだから、豆を(嫌いなのに)健康にいいから?と無理して食べてたんじゃないかな、と思うんですね。よくありますよ。西部劇なんかでも、なんかおいしくなさそうな豆の缶詰みたいなのを煮たりして、皿に無造作に盛る、みたいなやつ。家畜のエサか、みたいな。

で、まぁ、この部分は小さなことだけど、一番の誤解というか、言いたいのは、この詩を読んで、決して人生間違っちゃいけないっていうこと(笑)。

思うに、自己啓発書の著者というのは、リカバリー不能なほどリスキーなチャレンジをやったことがないのだと思います。もしくは、破れかぶれの一発勝負で、たまたま一発当たった人。まあ、当たらなかった人は、自己啓発書など書かないわけですが。人生は1勝9負でいいとか、15勝14敗でいいとか。その1敗で、再起不能になったらどうするんでしょうか?

やって後悔するなら、やらない方がいい。 - このブログは証明できない。

元も子もない。

「間違いをおかそう」「愚かな人間になろう」「馬鹿になろう」って、それじゃあ、破れかぶれじゃないですか(笑)。

これは、逆説的な話、心構えの問題で、そういう風に思えるように行動すれば、却って間違いを犯さず、賢くて、利口な人間になれるって話だと思います。

うーん、いまいちうまく言えないんですが、前にもポジティブは大切というエントリーで書いたように、長生きして、多くを経験した人なら、この世の中、たいていのことはそんなにうまくいくはずないって知ると思うんです(僕自身はまだそんなに老人ではないから知らないけど)。

で、そのとき、なーんだ、あのときあんなにやってもないことを思い悩んで、どうせ失敗するはずだったんだから、悩んでも悩まなくても同じだったじゃん!それだったら目の前にある実際の問題だけに粛々と取り組んで、あとは気楽に構えてりゃよかったじゃん、てなるのだと思います。いかにも、プラグマティズムの国の考え方ですが。

聖書にも、こうあります(マタイ6-34)。

だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

これもやはり、同じような真実を言い当てているように思います。

なんていうか、悩むな!悩んでいるような暇なんかあったら、さっさと行動して、本当の問題を片付けろ。あとは、トライ、トライ、トライ、ただひたすらにトライ。

これはもう、ある種の確率の問題。だから、何度も何度もトライするためには、絶対に一発アウトになるようなことは避けなければいけないわけで。思いわずらっている暇なんてないわけで。そして、思いわずらうことによって行動をやめてしまうようなことがないように、ポジティブにならなければならないわけで。

ま、そういう話かなぁと思いましたけどね。