一般的にいって、みんなと仲良くできるような奴が、ニートになるのだろうか。みんなと仲良くはできないから、ニートになるんじゃないかなあ。
ひとくちに「ニート」と言っても本当にいろいろあって、ブックマークのコメントに、「高等遊民」というのがあったけど、僕の場合、確かにこれが一番近いかもしれない。
みんなと仲良く、か・・・。そんなこと書いたっけ、自分、とか思いながら読み返してみると、確かに、そう書いているような気もする。でも、実際自分がみんなと仲良くしてるかと言われれば、かなり怪しい。
小中学時代の友人たちと会うことはほぼない(たまに、パソコンのトラブルの時だけ連絡を取ってくる男がいるが・・・)。高校時代の友人でいまでもたまに会うのは二人。大学時代は友人をまったく作らなかった・・・(´・ω・`)
ただ、気が合う人とは仲良くしてもらっている。というか、気が合わない人とは没交渉だ。そして、多くの人とはだいたい気が合わない。でも、人間、そんなに多くの人とつきあうことはできないので、別にそれでいいとは思っている。
それとも、仲良くできたならニートから立ち直れるよ、というハックなのだろうか。
いや、ここは明らかに違うな。そもそも、自分の中には、基本的にはニートを肯定したいという気持ちがあって、だから、たいていのニートを扱ったテレビ番組の企画なんかはおもしろくない。なぜならそれらはほぼ、ニートは立ち直るべきもの、という前提ありきで作られているから。
少なくとも僕は、立ち直ってなどいないし、立ち直るつもりもさらさらない。もしかしたらニートの価値観の方が正しいと、考えることはできないだろうか?たとえば不登校っていうのが、いまの教育制度や学校なんかに対する異議申し立てとしての現象とするなら、不就労ともいうべきニートは、いまの労働制度や企業に対する異議申し立てだと考えられないか。
でも、「異議申し立て」という言葉は、実は不登校やニートの側にあっては強すぎる言葉だ。対立項を作って、そこからの独立、解放、何らかの権利の奪取を訴える革命的やり方はとうの昔に廃れた。
ニートはもっと本来、ゆるゆるほっこりしたものだ。争いを好まない。だから仲良くって何度も言ってる。そう言えばこの前、NHKの爆笑問題の番組に、本田由紀っていう人が出ていたけど、かわいそうだった。なんか、闘争的だった。ニートの代わりに戦ってくれるのはありがたいような気もするけど、そもそもニートは「戦う」っていう戦略、というか、選択肢を取らないんだよって言いたかった。
軽く書くつもりがまた長くまじめになってしまったな。要は、仲良くできたなら立派なニートになれるんじゃないか、っていう話。

- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1989/11/16
- メディア: 文庫
- クリック: 146回
- この商品を含むブログ (63件) を見る
